還暦から古希へ
とうとう古希になった。
最近の「記録する」「見てもらう」という新しいツールのおかげで、
思い出を簡単に整理出来るようになった。
以下、私の還暦から古希まで10年の棚卸し。
この10年で終わったこと
<父との生活が終わった>
父が86歳で逝去。
晩年は認知症の父を皆で世話が出来たことが幸いだった。
<大好きなエアロビクスを断念>
50代初めからずっと続けてきたエアロビクスを
脊椎管狭窄症手術後の足のマヒにより、泣く泣くあきらめた。残念。
この10年で始まったこと
<ブログを始めた>
ビジネスブログから転じて日常の思いを吐き出す
ストレス解消の格好のツールとなった。
800以上の記事にこの10年の出来事が詰まっている。
<謡いと仕舞を始めた>
能が趣味の妻の影響で以前より能楽鑑賞はしていた。
それが近所の能愛好家の誘いで自ら能を謡い舞うことになった。
難しいけれど、男性が少ないおかげかシテ方も演じさせて頂いている。
<団塊創業塾で仲間づくり>
ブログフレンドに誘われて興味を持った。
コミュニケーション、好奇心、行動の3つの「コ」があれば
充実した残りの人生を楽しめそう。
<早朝、浅間さん100段のぼり>
ほぼ毎朝自宅から浅間神社に向かい、
100段をのぼって麓山神社をお参りし降りてくる。
仕上げは住吉公園でラジオ体操。
この10年も続いていること
<映画を見ること>
新しい映画が公開されると、無性に観たくなる。
時間、懐具合を考慮して、若いときほど多くは観ないけれど、
好きな映画は感想を書いて大切にしまってある。
<本を読むこと>
若いころに比べ小説はあまり読まない。
最近は社会的な事、シニア関係、ジェンダー、ITなど、
新書を中心に読書を続けている。
<家具の仕事はまだまだ現役>
成長から衰退へ。この十年、家具の業界は大きく変わった。
高齢者(若者も?)はモノ離れから断捨離へ。
大切な物は直して使えるよう、私たちは推奨している。
<家族仲良く>
母、妻、私の3人暮らし。
娘二人は東京で仕事をしており、時々帰省。
皆、充実した日々を送っていると思う。
団塊創業塾のセミナーでも話したけれど、
本や映画でインプットし、ブログや対話でアウトプットする。
こうして記録するこそが古希以降のボケ防止につながるのではないか。
これからもずっと続けていきたい。
大須賀町「小さな美術展」と愛宕下羊羹
先日、大須賀町の「ちっちゃな文化祭」に行ってきました。
歴史ある街道を歩きながら、旧家を借りて展示している作品を鑑賞するのが
目的なのですが、一番の楽しみは「愛宕下羊羹」をゲットすること。
「とらやの羊羹」は超有名ですが、
全国各地にも素朴で絶品の羊羹はたくさんあります。
下諏訪「新鶴本店」の塩ようかん、日光「三ッ山羊羹本舗」の水ようかん、
などなど。
静岡では「秋葉山の大祭」の時だけ作る、清水「栗田みのや」の蒸し羊羹。
そして、大須賀町の「愛宕下羊羹」の練り羊羹。
ガイドには午前中に売り切れとか、並ばないと買えないとか聞いていたので
到着してまずは店に向かいました。
並んでいる並んでいる・・・
それでも11時頃だったので、まだまだ羊羹は十分ありました。
さて、大須賀町の名物「愛宕下羊羹」。
栗羊羹、宇治茶羊羹、季節限定の白柚羊羹など、いろいろありますが、
基本は小豆羊羹と白羊羹でしょう。
私はいんげん豆をゆっくり火に掛け煉った、白羊羹のあっさり味が好みです。
材料の良し悪しはもちろんですが、甘味をどう加減するかが鍵。
この地には「横須賀しろ」という良質の砂糖がありますが、
それと関係するのでしょうか。
この羊羹、味もさることながら、噛み心地が素晴らしい。
噛むほどに、甘さから離れて、小豆やインゲン豆の味が見えてきます。
その他、大須賀町には名物がたくさんありました。
昔から続く国産材と木樽による醸造の醤油屋さん、栄醤油醸造
奇想天外でユニークな形と色彩が特徴の「横須賀凧」、やなせ提灯店
三熊野神社大祭で引き回される13台のねり、など。
今もまだ、価値ある懐かしい風景、素朴で純粋な味が残っている、
大須賀町の街と名物を楽しみました。
ウナギとかき氷で暑気払い
娘の誕生日に、はたまた暑気払いに、
ウナギとかき氷の組み合わせ(食い合わせ)?
娘が休みで帰省したので、母妻娘私と4人で1年ぶりの「鰻の満喜多」へ。
ここの、ふわっとした鰻の身の柔らかさと、
口に残らないほどよいたれの品の良さ。
ゆば入り肝吸いと香の物も丁寧に調理されている。
高級料理になってしまい庶民には手がどかない鰻重。
来てから裁くので30分以上待たされるけれど、
1年に一度でいいから最上の鰻を食べたい。
そんな要望に今年も満喜多は応えてくれました。
満喜多の帰りに立ち寄った「やきいも末永」。
たこ焼きの「横山」なき後、庶民派駄菓子や風かき氷はここかな。
一点の曇りもない透明な氷を自動かき氷機でシャッシャッシャッ。
うす〜いピンクのイチゴシロップ(180円)
練乳ミルク入りの甘露ミルク(220円)
中にあずきが詰まった真っ白氷あずき(240円)
氷のざらつきが無く、口に入るとふわっと溶ける。
シロップも甘すぎず、こちらも口に残らない。
冷たすぎない氷をかくと綿のような氷が出来、頭にキーンとこないそうです。
妻も母も「到底全部は食べられない。」と言っていたのに、
美事に三カップ、カラになりました。
多くのお客はとれない、ウナギの名店「満喜多」と
短い期間のかき氷が地元で人気の、やきいも「末永」。
静岡の知る人ぞ知るところの、なくなって欲しくないお店です。
夏休み、こんな本を読みました。
夏休み、こんな本を読みました。
岡本純子「世界一孤独な日本のオジサン」(角川新書)
恐ろしいタイトルとは裏腹に、
まさにコミュ力溢れる、女性ならではの
データを並べたおしゃべりでいっぱいです。
前半は、世界のオジサンに孤独病が蔓延している事を報告。
中でも日本のオジサンは世界一の孤独病患者と
不安を振りまいてくるので余計に病状が悪化しそう 。
後半は、その処方箋とコミュ力体操で孤独を吹き飛ばそうと提案。
老後の必須は「カネ (たくわえ)・コネ(つながり)・ネタ(いきがい)」
挨拶して、褒めて、人の話を聞いて、笑顔を絶やさず、感謝する。
そして鎧を脱いで立場主義から降りることを実践しよう。
深刻な内外データの横並びから、ハウツーモノになって行く
少々軽いノリにも思える話の推移。
でも、こういう簡単そうな訓練が、我々オジサンには
なかなか出来ない、いや、やらないんですね。
もちろん、そうです! 努力してこその楽しい人生。
そこは著者の見解に大賛成です。
ただ、真の孤独はその先のような気もする。
連れ添いや友人に先立たれ、
認知症、ガンなど深刻な成人病が襲って来たら・・・。
そのへんは著者の続編に期待したい所です。
春宵一刻値千金
春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこく、あたいせんきん)
花有清香月有陰 (はなにせいかあり、つきにかげあり)
歌管樓臺聲細細 (かかんのろうだい、こえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらく、よるちんちん)
春の夜の一刻は千金に値する
清らかな花の香りとおぼろげな月
歌と管弦を奏でていた楼台も今はひっそりとしている
鞦韆(ぶらんこ)のある中庭に少女たちの姿はなく夜はひっそりと更けててゆく
中国宋代の詩人・蘇軾作「春宵」の超有名な詩ですね。
今、まさにその時、心が躍る季節になってきました。
能「田村」の謡いの中でも、この漢詩が謡われます。
シテ・ワキ ♪春宵一刻価千金。花に清香。月に影。
シテ ♪げに千金にも。かへしとは。今此時かや。
地謡 ♪あらあら面白の地主の花の景色やな。
桜の木の間に漏る月の。
雪もふる夜嵐の。
誘ふ花とつれて散るや心なるらん。
昨年の春、岡諷会にて能の謡い「田村」のシテを謡わせて頂きました。
今年は能「田村」の仕舞に挑戦します。
数少ない勝ち修羅の名曲です。
朧月夜を詠う 樋口一葉
おもふこと
少し洩らさむ友もがな
うかれてみたき朧月夜に
「朧月夜に浮き立つように、恋心を少しだけ話せる友がほしい。」
二十四歳で没した樋口一葉が、死の前年に作った歌だそうです。
日経新聞の夕刊<耳を澄ましてあの歌この句>に解説がありました。
文筆家として家族を養う貧しい生活のなか、一葉に真の友人はいなかった。
世間にも、恋しい人にも肩肘を張ってきた一葉が、春のあまい月夜に、
ほんの少し酔わされた瞬間があったのだろう。
このコラムの担当者、歌人の佐伯裕子さんは述べています。
3月末の満月(ブルームーン)が過ぎて4月は十六夜(いざよい)の月に。
桜も満開(フルブロッサム)から、はらはらと散り始めた春の宵。
天才にも凡人にも、貧しくても病んでいても、春はやさしく語りかけています。
オセローの思い出
シェイクスピア原作のオセロをSPACが公演した
宮城聡演出「オセロー」を観劇して、
思い出したこと・・・。
その1
20代のころ、中央公論社から世界の文学という
ハードカバーの豪華本シリーズをいくつか購入した。
その第一巻がシェークスピアだった。
「ハムレット」や「夏の世の夢」と共に
「オセロ」が収録されてあり、読んだ記憶がある。
老眼鏡でも目が疲れそうな小さな字で、
再読する気にはならないが・・・。
その2
10代の学生の頃から映画好きだった私は、
ローレンス・オリビエが主演した映画「オセロ」も観た。
「静岡映画物語」の資料によると、1966年9月、
今はない七間町の「ミラノ」で公開された。
ナショナル・シアターの舞台をもとに映画化した作品で、
あくまでもオリビエのオセロが圧倒的なドラマだったと思う。
その3
圧巻の「オセロ」体験は30代の時。
NHKホールで観たベルディ作曲の「オテロ」。
1989年にミラノ・スカラ座が初来日して、大枚はたいて東京まで行った。
オテロは黄金期のテノールプラチド・ドミンゴ。
指揮はあのカリスマ指揮者、カルロス・クライバー。
バーンと爆発音のようなフォルテッシモで始まる最強のイタリアオペラ。
勇者オテロが次第に自分のコンプレックスと嫉妬でタガが外れて
破滅へと向かっていく次第が、輝くばかりの音の競演で表されている。