ピアノの思い出
御多分に漏れず、私の家にも開かずのビアノがあります。
妹の就職試験に必要とされてやって来たこのピアノ。
彼女が就職して上京した後、使われなくなって、私に番が回ってきました。
あれは20代の頃。もう早くは動かなくなった手で、
バイエルから始まってツェルニーヘ。
どの辺りまで弾いたのだろう。たしかツェルニー30番あたりで挫折。
でも、同時進行したハノンは好きで、そればかり弾いていた。
これを弾くと、もう手が自由自在に動くような気がした。
プロの心地がして、ドビュッシーの「月の光」(編曲版)の
ペダリングが面白くて夢中になり、
いい大人が子供と一緒に発表会にも出たんです。
やがて、私も結婚。生活が変わると興味も変わるのですね。
だんだんピアノに向かわなくなりました。
我が家のピアノの第二の人生は、子供たちが生まれてから。
たぶん、どの家でもあるように子供たちのピアノレッスン。
そして、中学生くらいになると勉強が忙しくなり、
また、ピアノの蓋は閉められたままになる。
でも、その後、おばあちゃんが近所の友達とレッスンに通うようになり、
ピアノは第三の人生を迎えました。
もう、バイエルはやりません。映画音楽や、ポピュラー、歌謡曲。
ゆう〜くりとピアノを叩いています。
そして それも だんだん聞こえなくなり、
やがて、ピアノは蓋をされたまま、眠ったままの状態になりました。
どこにでもある、言うほどの事もない話です。
バッハの平均率クラビーア曲集の生演奏を聴いて、
もう一度ピアノが弾きたくなりました。
せめて、あの「アヴェ・マリア」くらい。