kittsan流ブログの意味(3)

私のブログライフも3ヶ月が過ぎた。

以前、感じていた壁のようなものも無くなった。

肩に力を入れることもなく、書く事への脅迫観念も薄れてきたように思う。

三日目には慣れて、三ヶ月経つと楽しくなり、三年となればもう普通の事なんでしょう。

他人もランキングも、それ程気にする事がなくなり、

マイペースでパソコンに向かうようになりつつある。

ビジネスブログのつもりで始めたが、あまり営業を意識することもなく、

淡々とよしなし事を書いていける。

改めて思ったけれど、また、当然の事なんだけれど、

kittsan流ブログは自分のためのものなんだ。

だから、自分が読みたいようなブログを書いていけばいいんです。

その方が面白いし、また、いたって簡単な事のように思うのだけれど、どうだろう。

私が関心を持つブログを思い巡らすと同時に、

自分のスタンスとしてのブログのあり方を考えてみた。

  ・まず、タイトルはたいへん大事、よく考えて決める。 

  ・堅い話、過激な話、悲しい話は表現の仕方をやさしく、やわらかなものにする。

  ・字は読まないと言うけれど、そんなことはありません。

   文面がその人の個性を物語る。

   画像でブログを継続できるのはプロでしょう。

  ・文章は短く、志賀直哉風、清少納言流に。

   (、点)(。丸)で行を変え、話の区切りでも一行空け、

   出来るだけ読みやすい工夫をする。

  ・ユーモアのセンスをどこかに入れるて、読後をさわやかにしたい。

  ・文章は自分と誰かが対話をしているような言い回しを加える。

  ・わざわざ訪問してくれて、しかもコメントを頂いたことに感謝し、

   返事はかならず書こう。

  ・毎日書きたいが、毎日アップすることもない。残しておきたい事だけを公開する。

   だから前にも言ったけれど、下書きではなく、非公開のモノも公開した記事も、

   当事者だけにはすべて、一覧して見られるシステムが出来るといい。

 

「たかがブログ、されどブログ」、そんな気分で、細く長く続けていきたいです。