匿名のこと/kittsan流ブログの意味(11)

ブログと匿名性については、しずおかオンラインの社長さんとの話の中で一番興味がある事でした。

「“自分が相手にどう見られたいか”を考えたときに、

ある部分を匿名というベールで隠す方法もありますが、

逆にオープンにしてしまうことが快感になるという感覚は、

ネットでもリアルでも同じなのではないでしょうか。」

対談の時の社長さんの答え。

顔が知られている有名人(社長さんを含め)である場合は、

多分、こういう感覚がよくわかるのだと思います。

私の場合、そうかなあとは思いますが、むしろブログには匿名性を利用して、

また別の人間像を作っていくという面白さがあるような気がしていました。

だいぶ前、朝日新聞のブログについてのアンケートの事を載せました。

ブログを不審に思っている人の理由について

「知らない人に自分のことをなぜ知らせたいのか理解できない。」  

「ブログをやってみたいと思うが自己愛や、自慢みたいでちょっと。」   

「下手なことを書くとちょびっとしかない脳ミソが世界中に知れ渡ってしまうので。」 

以上のような答えがあったそうです。

私も始めた頃は同感でした。

だから、ネット上の姿は出来るだけきちっとした身なりでありたいと思っていました。

けれども、それだと窮屈で、次第につまらなくなる。

どうせ私のことなど知らないのだから、すこしおバカな事をいってもいいんじゃないか。

時には批判めいた事を言っても、こういう考えの人もいる、と思ってくれるはずだ。

なんか、トラブルがあったら、匿名だからやめてしまえばいい。

そういう居直りのような無責任な考えが生まれてきます。

でも、長く続けてくると、自然に自分に問うようになる。

どんな記事でも、読んでくれる人がいる。

その方たちに無責任な事は出来ない。

正直な姿を見せなければ、どんな立派な話でも伝わらない。

こうして自然に、ネチケットを大切に考えるようになっていくのですね。

私は、ネット上の姿とリアルな姿は別物と思っていました。

しかし、多くの場合、ブログ美人はやっぱり美人(姿ではないですよ。)であるし、

ブログハンサムは、実際かっこいい。

結局、別の人間像=裸の人間像=オープン性で、社長さんの話に戻る。

そう、最後には「ネットもリアルも同じ。」という所に落ち着くようですね。