ウィーン・ア・ラ・カルト「学問編」

ウィーンは、世界的な音楽家、美術家、建築家などを生み出した都市ですが、 優れた多くの学者もこの街から誕生しました。 その、基盤となっているのが、ウィーン大学。 ドイツ圏、最古、最大の大学で、10数人のノーベル賞受賞者を送り出した名門。 音楽家ブルックナー精神分析学者フロイトなどが教鞭を取り、 作曲家マーラー、劇作家ホフマンスタール、映画監督フレッド・ジンネマンなどが学んだそうです。


この大学のガイドツアーを楽しみにしていました. 毎週土曜日11時から独英語のガイドツアーが定例。 ただし、この9月のみ夜6時から、独語のみのガイドもあると、オーストリア観光協会のHPにある。 時間に合わせて、夕方、ウィーン大学に向かいました。 受付の、初老の女性に問い合わせる。   (私) Is the guide tour good here?   (受付) Today's guide tour is finished.   (私)I head , the second guide tour frorm 18:00 only September. 広報に出ていたので、あるはずだ、と食い下がりました。  (受付)No, You come here at 11:00 next Saturday. 彼女は自分の時計を指さし、冷ややかな表情でこちらを見ました。 そんなはずはナイ。 それに、ガイドツアーの見所でもある、講堂にあるクリムトの天井壁画が見たい! しかたないので、近くのソファーで待つこと30分・・・。 しかし、一向に人は集まりません。


あきらめて、中庭で妻と休憩をしていました。 ところが、構内は、何かの催しが始まったようでにぎやかです。 後から知った事なのですが、大学に行った日は、こちらで世界の地質学会会議が開催中で、 館内の多くが自由に出入り出来るようになっていたのです。 2階へ行ってみると、普段は入れない講堂もオープン。 講堂内には、地質関係の資料が並べてあり、一巡しましたが、 なんと、頭の上を見ると、例の壁画(現在は写真パネル)があるではありませんか。


クリムトが大学の依頼で制作した「医学」「哲学」「法学」というタイトルの壁画。 しかし、そのわいせつ性が問題となりったり、ナチスに戦時中焼却された曰く付きの壁画です。 ガイドツアーはなかったけれど、 幸運にも、ウィーン大学の講堂、中庭等、自由に見学することが出来ました。 そして恥ずかしながら、9月の夜のガイドツアーは火曜日だということも、あとから判明しました。


国立図書館「プルンクザール」
ホーフブルグ(王宮)内にある、世界一美しいといわれる図書館。 ここは、あまり訪れる人もなく、静かにゆっくり見学することが出来ました。 バロック様式の館内には、20万冊に及ぶハプスブルグ家関連の蔵書がぎっしり。 私たちが訪れたときには、 航海時代当時のアジア、アメリカ、アフリカ大陸の貴重な資料の特別展が行われていました。


展示してある資料を見ていると。  (学芸員)Are you from Japan?    (私) Yes.  (学芸員)This is Japan. You can take a picture. 愛想のいい学芸員は、古い地球儀にある、北海道のない日本を指さして、撮影を勧めてくれました。  


音楽、美術、さらに、学問の都でもある、ウィーン。 大学や、図書館には、豊かな環境で学べる、静かで自由な雰囲気あり、 日本からの留学生が多いのも、納得できるものでした。 私も、リタイアーしたら、ウィーン大学で、哲学やデザインを学びたい。 なんて、あり得もしないこと? を夢想してしまいました。