自由権と社会権

12月10日は「世界人権デー」。

世界人権宣言が、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択されたことを記念して設けられました。

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」

理想にはほど遠い現実を、少しでも良くしようと、多くの人が思い、活動しています。

私も若いときに、ただ身の回りの事だけに流されたくない思いが

少しだけあって、あるグループの所に行きました。

それがアムネスティインターナショナル(静岡グループ)です。

することは至ってシンプル。

良心の囚人(非暴力でありながら、自らの信条や信仰、出自、肌の色などを理由に、

      政府によって拘禁されたり自由を制限されたりしている人たち)

に対して、正当な裁判、あるいは釈放してくれるよう、

その国の政府にハガキを送り、お願いする事です。

グループになれば、もう少しいろいろなことが出来ます。

例えば私たちは、毎年この人権週間に街頭に立ち、

アムネスティの活動をアピールしています。

おしゃれな松ぼっくりのクリスマス飾りを、アムネスティのチラシに入れて、

少しでもこの活動に興味を持って頂くよう、街ゆく人に配っています。

先日の日曜日、そんな街頭活動をした後、仲間でおしゃべりをしていました。

その時、「自由権」と「社会権」の話題が出ました。

 自由権とは、

  国家が個人の領域に対して、権力的に介入することを排除して、

  個人の自由な意思決定を保障する権利。

 社会権とは、

  社会的、経済的弱者が、人間に値する生活を営むことが出来るように、

  国家の積極的な配慮を求めることの出来る権利。

アムネスティ自由権に重きを置いて活動していますが・・・。

「それほど経済的に困っていない、自由な西洋の知識人が考えそうなことだよね。」

「今日の食べ物に困っている人にとっては、遠い話だよね。」

「多少の自由が拘束されても、食べ物があった方がいい場合もあるしね。」

「でも、こうして人権について話しも出来ない社会なんて、考えられない。」

「野良犬と飼い犬と、どちらが幸せかな?」

なんて、素朴でありながら、根源的な話になりました。

普段は当たり前の事としてある「人権」。

でもあるところでは、それが軽視されたり制限されている。

その現実をもう一度考えてみる、今日の人権デーです。