ソーシャルメディアは信頼できるか?

尖閣諸島の映像流出問題や、ウィキリークスさわぎなど、

このところ、ソーシャルメディアの話題が注目されています。

新聞、雑誌、テレビ、ラジオに次ぐ第5のメディアとして登場。

webを通して、たちまち私たちの生活に浸透してしまったツール。

インタラクティブなメリットを生かして、ブログやツイッターが活躍しています。

私もこのメディアに浮かれている1人ですが、

これって、本当に信頼できるモノなんでしょうか。

「問う 画像流出問題」という、静岡新聞のコラムで、

漫画作家・評論家の大塚英志さんは、否定的な意見を述べています。



瞬時のつながりを求めるツールとしてウェブが肥大している。

理性的な判断ではなく、感情が「世論」となり、

しかも旧メディアが、それを追認していくのが現状ではないか。

肥大した自我を愛国心と感じる錯誤の在り方は、

隣国と国民と自らの姿が、合わせ鏡であると考える冷静ささえ難しくしている。

「領土」は未熟でだらしなく溶け合った「国民」たちの、

自我の格好の入れ物と化している。

それが国境問題の本質ではないか。

今やツイッターでもブログでもプロフでも、

その場その場の気分が連鎖するシステムをウェブは作り上げた。

そういう水準で人がつながり、権力でなく世論が暴走しやすい社会となっている。

う〜ん、言っていることって解りますよね。

私たちが容易に介在出来るソーシャルメディアにあって、

いとも簡単に、自分のことをさらけ出すことが出来る。

あるいは、人の事を勝手にああこう言うことが出来る。

それが、一方通行ならまだしも、双方向(インタラクティブ)であるが為に、

雪だるま式に大きな力となっていく。

「私個人」が「私たち」になり、そのうち「みんな」と化して、

責任の所在が曖昧なモノになっていく。

それを「世論」と言うのでしょうけれど。

ブログを書いていて気付くのだけれど、自分の素を出していないなと思う。

私を一番正しく、美しい姿で見たいのは自分なんだから、当たり前のことだけれど。

だけど、それが行き着くところは、結局プロの真似ってことになるのでは、と気になっています。 

次回は、肯定的なソーシャルメディア論を述べている本について、

紹介しようと思っています。