被災地 福島から(3日目)

8月10日(火) 3日目 いわき市 


朝早く起きて、いわきの街を散歩する。 南相馬市と打って変わって、静岡と同じような活気ある地方都市のすがた。 お金を使って、街の美観を汚している。どこの街でもあること。


午前中は海岸部の小名浜地区の支所で、震災時の説明を聞く。


震度6強では、金縛りにあって動けない。1分が20分に感じられた。 昭和27年建築・危険物指定のこの支所がビクともしなかった。旧建築の信頼性大。 集中発信システムのため、避難指示広報が一部伝わらず、被害が大きくなった。 放射能汚染の風評が広がり、水、食料、ガソリンなし、一時ゴーストタウンに。


高台にある保育園訪問。 食べ物は県外からのみ。洗って煮て、安全に配慮。 屋外活動もしばらく出来なかった。プールも放射能測定器で調べたから。


被害のひどかった久の浜地区、平薄磯海岸を視察。


津波が川から侵入。逆流して回りのすべてを破壊し尽くす。


天井近くまで水が。倒壊せず残ってもいずれ取り壊しになる家が多い。


信用金庫の残骸。お客さまを誘導していた職員が亡くなったそうだ。


津波で亡くなった人のある家の、初盆の知らせ。早くもそういう季節に。 震災から5ヶ月。福島は、脱原発目指して、力強く復興に向かっている。 しかしその有り様は、その地域その地域で格差が大きい。 「被ばく者」として自分を認識し、「被ばく手帳」の交付を待っている有識者。 故郷を捨て、より安全な場所を探して各地をさまよう避(難民)の数、数万人。 地元の議員が言った。 「福島の人たちは、自分たちが忘れられることを一番恐れている。   ここで何があったのか。語り継いでくれる人たちを求めている。     ヒロシマナガサキが風化し、原子力エネルギーが歓迎されてきた現実。     数年先、同じ事を繰り返さないよう、ぜひ、フクシマを訪れて欲しい。」