浅川伯教・巧兄弟と李朝の白磁
日本中が寒気に覆われた土曜日、
風が収まって底冷えのする山間部、富士の裾野を越えて山梨へ。
日本と朝鮮の架け橋となった偉人の、貴重な展覧会を見に出掛けました。
「浅川伯教・巧兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美」 浅川伯教と巧兄弟は、山梨県に生まれ、 大正期に朝鮮半島へ渡って活動した工芸研究家です。 兄・伯教は小学校の教員として、弟・巧は朝鮮総督府の山林課の職員として勤務する傍ら、 工芸の研究を進め、それまで注目されることがなかった、”李朝”時代(1392〜1910) の陶磁器に光を当て、朝鮮陶磁は多くの人々の注目を浴びるようになります。 私が李朝家具に魅せられて関心を持ち、韓国へ出掛けた40代の頃。 家具屋が東洋の家具に目を向け、李朝工芸を研究なんて話は滅多になかったそうです。 韓国の工芸家との交流により、李朝家具の素晴らしさを知ってから、 李朝スタイルの和家具の制作を少しづつ始めて、「吉蔵」の1つのイメージとなりました。 家具と同時に関心を持ったのが、素晴らしい朝鮮の文化。 中国から朝鮮半島を通って日本にもたらされた東洋の美。 その一つに「茶の文化」がありました。 高麗時代の青磁から朝鮮時代の白磁へ。 利休や「民芸運動」の基になった浅川兄弟が評価した、雑器の中に見る素無の美。 その後、柳宋悦から、河合寛次郎、濱田庄司、北大路魯山人、へと続く。
地方の美術館で密やかに開催された、知る人ぞ知る貴重な展示会。 静かな会場で、素朴ながら絶妙のバランスを持った民衆の美意識を堪能。 見せるとか、売るとか、そういう感覚で物が出来ていない。 豊かに使うことに価値がある。 解説を見なくても語りかけてくる李朝の器に、しばし時を忘れた一日でした。
「浅川伯教・巧兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美」 浅川伯教と巧兄弟は、山梨県に生まれ、 大正期に朝鮮半島へ渡って活動した工芸研究家です。 兄・伯教は小学校の教員として、弟・巧は朝鮮総督府の山林課の職員として勤務する傍ら、 工芸の研究を進め、それまで注目されることがなかった、”李朝”時代(1392〜1910) の陶磁器に光を当て、朝鮮陶磁は多くの人々の注目を浴びるようになります。 私が李朝家具に魅せられて関心を持ち、韓国へ出掛けた40代の頃。 家具屋が東洋の家具に目を向け、李朝工芸を研究なんて話は滅多になかったそうです。 韓国の工芸家との交流により、李朝家具の素晴らしさを知ってから、 李朝スタイルの和家具の制作を少しづつ始めて、「吉蔵」の1つのイメージとなりました。 家具と同時に関心を持ったのが、素晴らしい朝鮮の文化。 中国から朝鮮半島を通って日本にもたらされた東洋の美。 その一つに「茶の文化」がありました。 高麗時代の青磁から朝鮮時代の白磁へ。 利休や「民芸運動」の基になった浅川兄弟が評価した、雑器の中に見る素無の美。 その後、柳宋悦から、河合寛次郎、濱田庄司、北大路魯山人、へと続く。
地方の美術館で密やかに開催された、知る人ぞ知る貴重な展示会。 静かな会場で、素朴ながら絶妙のバランスを持った民衆の美意識を堪能。 見せるとか、売るとか、そういう感覚で物が出来ていない。 豊かに使うことに価値がある。 解説を見なくても語りかけてくる李朝の器に、しばし時を忘れた一日でした。