「恐」の2011年

激動の2011年も残すところ今日一日。

まさに、我が国が大揺れになって、「常識」や「認識」のカラが破られ、

「真実」がむき出しになった今年の3月11日以降。

まるで、3月11日以前は無かったように感じられた2011年。

今年を表す言葉は「絆」だそうだ。

そうとも思えるけれど、私にとっては「絆」よりも「恐」。

3月11日に三陸沖で大地震があり、私の住む静岡も長く揺れた。

それから福島原発事故があり、数回の建屋の爆発を見た。

現場から遠く離れていも、朝起きてニュースを見るのがかなり恐怖だった。

こういう経験は今だかつてない、毎日の身体が異常に緊張を強いられているようなもの。

何かに憑かれたように、原発の話を聞きに出掛け、脱原発のパレードに参加し、

更には、被災地に出掛け、自分の目で現状を確かめようとした。

そういう行動を促したのが、明日が見えない分からない、という「恐怖」。

自分の身体が老いていき、いずれは無になるのと同じように、

世の中も、自分の望むこととは裏腹に、破滅の道を歩むようになるのでは・・・。

そういう予感が今年ほど、明確に感じられた年はなかった。

10ヶ月近く経った今、そんな直接的な恐怖は少なくなったけれど、

変わって鬱積して来るのが、目に見えない「不安」とか「諦念」という間接的な恐怖。

放射能は我々の将来にはたしてどれだけの災禍をもたらすのか、誰も分からない。

震災によって生じた日本の経済、文化、環境、生活はどうなっていくのか。

「私たちはお先短いからいいけれど・・・。」という言葉をつい発してしまう。

そこには無責任な諦めが混じる、自分を慰める言い訳だけがある。

それでも、新しい年になれば「明けましておめでとうございます。」と言う。

老いていく者が、生まれ来るモノたちに、夢と賛美の言葉を伝えていく。

それが生きていることであり、自然の生命力であると思う。

夢を持って、来年こそ、更にいい年にしていきましょう。

そして、自然に対して常に恐れを抱くこと「畏怖の念」をこころの中に。

今年1年、kittsan流ブログにお付き合い頂きありがとうございました。