港町人情噺では済まない?/映画「ルアーブルの靴みがき」

大好きなアキ・カウリスマキ監督の新作。

世間から見放された人たちの、さらに貧しい人への愛情物語。

浮雲」も「過去のない男」も「街のあかり」もみんな同じ。

カウリスマキが描く、さりげない現代のお伽話にいつもホロリとしてしまう。



靴磨きで生計を立てているマルセルは、妻アルレッティとつましい暮らし。

ある日、妻は余命幾ばくもない重病が悪化し入院。

時同じくして、彼は港でアフリカから密航してきた少年イドリッサと出会う。

我が身と同じ少年に同情し、家にかくまってしまう。

そして、わずかな全財産をはたいて彼のために奮闘し、

ご近所の協力を得て、少年をロンドンへ出国させるまでのストーリー。

・・・なんですが、その行為が最後、奇跡を起こすというおまけが付いています。

いつもながらの無愛想な登場人物と、感動の押し売りをしない語り口。

何も語らない夫婦の飼い犬と、靴磨き仲間のベトナム青年がその典型。

なんとも物足りないくらいの表現が最後まで貫かれていて、

カウリスマキっていいよな、と思ってしまう。

でも、下のような批評を読んで、なるほど!って唸ってしまいました。

『ル・アーブルの靴みがき』 港町人情噺?

・・・・・・・・

この映画に出てくるのは誰もが善意の人々で、みな密航者の少年に同情している。

もともと少年はロンドンを目指しているから、ここに定住しようとしているわけではない。

ル・アーブルはいっとき身を隠す場所にすぎない。

だからこそ、マルセルと近隣の貧しい人々の「ひとときの冒険」が成り立つわけだ。

でも、マルセルがここに住みたいと言ったら、

ことはそう簡単ではなくなってしまうんじゃないだろうか。

それにマルセルにも近所のおじさんおばさんにも子供や孫はいないみたいだけど、

もし彼らに子供や孫がいて、彼らが職につけないでいたら、

密航者の少年をどんな目で見るだろう。

そういうことをすべて抜きにしたこの映画のメッセージを言葉にすれば、

人の善意がすべてを解決する、ってことだろうか。

カウリスマキの映画で社会問題を云々するのが野暮なことは分かっている。

でも繰り返しになるけど、密航者や移民が登場する以上、

そのことを見ずに、いつものお伽噺なんだし、

最後に「奇跡」だって起こるんだから固いことなし、って画面に浸ることもできない。

・・・・・・・・

よく見ていますねぇ。

私の映画感想が、すっ飛んでしまうくらいの分析でした。