ぞろ目の歳
昨日(12/2)の朝日新聞夕刊、池澤夏樹氏の「終わりと始まり」に
面白い記事が載っていた。
もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、
たからをとりにゆくといへり。
けしからぬことならずや。
たからは、おにのだいじにて、しまいおきしものにて、
たからのぬしはおになり。
ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、
もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。
もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、
よのなかのさまたげをなせしことあらば、
もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、
はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、
おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、
たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。
(福沢諭吉が自分の子供のために書いた「びゞのおしへ」より)
池澤夏樹氏のこれと同じような考え
(日本人のお伽話が征伐(侵略)の物語である)
が教科書に採用された事について、政治家に批判されたそうです。
日本の伝統的な物語が偏向された考えによって、
純粋な生徒達に、ねじ曲げられて伝えられる・・・と。
これに対し、1つのテーマに対していかに異議を立てるか。
知的な反抗精神を養うのが教育の本義だ。
この桃太郎論を読んで、生徒達に多いに反発して頂きたいと、結んでいる。
団塊世代に生まれた私たちは、幸にもリベラルな空気の中で育ち、
学生運動など、反抗精神を丸出しに生きてきた。
そう言う私も、66歳になった今でも家では妻や子供達に煙たがられるほど
青臭い自分がいる。
でも、だから、あまのじゃくの好奇心や猜疑心が
これからのしばらくの人生を興味深いものにしてくれるかもしれない。
77歳は喜寿、88歳は米寿、99歳は白寿。
では、66歳は何というのだろう?
・・・・・・緑寿(りょくじゅ)というそうです。