空気を読まず今を見つめる/演劇「メフィストと呼ばれた男」

ナチスの時代に苦悩するリベラルな演劇人たちを描いた

SPAC公演「メフィストと呼ばれた男」を観た。

何十年ぶりかの本格的な演劇鑑賞で戸惑うことも多く、

さすがに3時間は疲れたけれど、思うことは色々、それなりに楽しめた。


驚いたは舞台の作り方。

あの静岡芸術劇場の会場を舞台奥から観客席後ろまで縦に分断。

舞台の右半分と観客席の右隅を実際の観客席,

残りの舞台半分と観客席の大部分が実際の舞台として使われる。

だから、舞台奥の役者、観客席中央の役者、観客席後ろの出入り口に立つ役者と

三点で対話が交わされる場面では、その距離がスケール感の大きさを生み出し圧倒される。

また、2階の私の席から俯瞰すると、

舞台に居る観客も今演劇をを見るている傍観者ではなく、当時の舞台にいて、

時代に翻弄される市民となることを要求される舞台空間のようでもある。

演劇人たちは拘束され、シェースクスピアも禁止、

チェホフ、イプセンの劇も上演出来なくなる。

為政者は、ますます人を支配する快感に溺れ、自己陶酔していく。

市民は、時代に逆らえば殺され、翻弄されて自分で命をも抹殺せざるをえなくなる。

たしかにこの演劇にある暗い時代が過去のものではなく、

もうすぐ目の前に来ているようにも思える今。

主人公である演出家&俳優の苦悩と混乱がそのまま

この演劇の演出家(宮城聡氏)の姿にダブって、何とも生々しかった。

それにしても俳優さんたちの言葉の歯切れの良さと声の美しさ。

目をつむって、それを聞いているだけで、うっとりした。

とにかく解りにくい部分も多かったけれど、

映画「バードマン」同様、凄い演劇に出会いました。