他人の中の自分・自分の中の私/映画「バードマン」

今年のアカデミー作品賞他4部門受賞の

「バードマン」(あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)を2度観る。

この映画、解りにくいというか取っ付きにくい。

 最初と後半に現れる火の玉は何なのか?

 主人公が超能力で空を飛んだりモノを壊すのは事実なのか?

 無賃乗車で追いかけられるが、実際彼はタクシーに乗ったのか?

 最大の疑問・・・それで最後、主人公はどうなったのか?

そういうことは暗示さえあれ、観客の解釈におまかせ、という感じ。


1回目の鑑賞。

登場人物が好き勝手に怒鳴りまくる前半は、うるさいだけで頭が混乱した。

後半、主人公が分身のバードマンに攻められ、

自己嫌悪に陥っていくあたりから俄然面白くなっていく。

この映画、自己顕示の強い男の「栄光」と「挫折」と「再生」の物語とみた。

2回目の鑑賞。

解らないながら、映像・音楽・俳優等、映画的要素の充実度が

最近の映画の中でずば抜けていたため、再度妻を誘って鑑賞。

今回は一瞬たりとも場面を見逃さないよう、目を見開き耳をそばだてる。


静止することなく縦横無尽に、登場人物の間を追いかけ、

時間や空間まで飛び越えていくカメラが作り出す、ノーカットの映像。

リズミカルな快感だけでなく、

時にはけたたましく人をイラつかせるドラムが奏でるジャズと、

その間をぬって、いっぷくの清涼の風を運んでくる

ラベル、チャイコフスキーマーラーのメロディアスなクラシック。

もう、それだけで充分この映画が高感度で斬新であることはよく分かった。

さらに、もう一つ気付いた大事なこと。


他人から見られている自分の姿と、自分が見つめる自分の裸の姿と、

その隔たりを修復していく男の物語が、この映画の大きなテーマなのだ。

バードマンの鎧に身を固めていることで他人から賞賛を浴びていた若い頃の自信。

容貌も衰え人気も消えかけて、再度舞台で内面的な演技に挑戦する老年期の欲望。

自分を肯定したいが為に、真実の自分をさらけ出したいけれど、

自分を守るための鎧のチカラからも逃れることが出来ない男の今が描かれていく。


終盤になって、家族と演劇仲間とファンの間でもみくちゃにされていた男が、

決断し、ある行動に出た後、騒がしかったこの映画に静けさが訪れる。

そのラストシーンの、マイケル・キートン演ずる男の清々しい姿が印象的だ。

幾重にも重なった鎧を捨て、自分の真実の姿を見つめることが出来たとき、

ひとは成熟し、安らかな人生を送ることが出来る。

そんなストーリーに、誰もが共感し、賞賛し、感動する、素晴らしい映画です。

(静岡東宝会館で5月8日まで)