1950年代の静高生を描いた小説/三木卓著「柴笛と地図」

今迄、あまり知らなかった作家「三木卓

全く聞いたことがなかった小説「柴笛と地図」(集英社文庫

 

この物語が1951年から54年まで、静岡高校で過ごした主人公の

少年の思春期を描いた、氏の自伝的小説だったとは・・・。

 

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当時静高(旧制静岡中学)は静岡大空襲で焼かれ、

駿府城趾にあった静岡三十四連隊の兵舎を使って授業が行われ、

そのため「城内高校」と呼ばれていた。

今の長谷町に戻り、再建されたのは1953年、

その秋、校名も静岡高校となったそうだ。

 

この本を読むと、当時の静高生がこんなにも大人びていたのか

と、只々驚く行動ぶりが展開される。

 

社会科学研究部に入り、共産党の党員になるコースが十代からあり、

マルクスエンゲルスの「空想から科学へ」を議論する。

西洋音楽(クラシック)に於ける造詣はプロ並み。

野村胡堂(あらえびす)の音楽評論が出て来るは

ヌブーやカペー弦楽四重奏団などの演奏批評の数々。

文学は勿論、太宰治から小林多喜二中野重治と、

デカダンスから共産主義の作家まで、びっくりするほどの読書量。

 

そして、今は懐かしい静岡市の場所や店の名前。

開かずの踏み切り「八幡の踏切」、クラシックを取り寄せるなら「すみや」

どこへ行くのも自転車で、そこは今の静岡の高校生となんら変わらない。

勿論、静岡弁「・・・だか」「・・・だけん」「・・・じゃん」も随所に出て来る。

 

そんな静岡の風景が網羅され、あの時代の空気が小説のあちこちに漂う。

 

しかし、一番驚くのは、人間関係の密なことと、自分で考えようとする

バイタリティにあふれた高校生ばかりだということ。

引揚者、片親、貧困、病気が日常茶飯事の1950年代に、

自分の力で生きていかなければ、誰も助けてくれない事を

背伸びしながらも自覚し、行動している十代であること。

 

まさに時代が過酷にも彼らに試練を与える事で、

彼らがモラトリアムで居られない状況に放り出されている。

気の毒のような、でもうらやましいような充実した人生を垣間見ることができる。

 

この小説を知ったのは、2014年3月22日の日経夕刊の文化欄を読んだ時。

そんな小説があったのかと、早々に文庫本を買った。

500ページもある長編だったので、なかなか読む機会がなかった。

それが時間が余った今、4日で読んでしまった。

 

私が母校静岡高校を卒業して、今年で50年になる。

記念の同窓会が開かれるが、ぜひこの小説の話をしてみたいと思っている。