政治の季節

参議院議員選挙も後半戦に突入。
政治には疎い私だけれど、自分なりに考えている。

50年前、私は明治大学の学生だった。

大学のあるお茶の水駿河台界隈に登校すると、
道路が催涙弾で煙り、火炎瓶や木片、布切れなどが
散乱している状況が度々あった。

大学の授業は度々休講になった。
それでもクラスメートは教室にあつまり、
侃々諤々、政治的な持論を皆で論破し合っていた。
臆病な私は、当時はいわゆるノンポリだっが、
その時議論出来ない事がとても恥ずかしいと思った。

そのうち大学が閉鎖され、半年以上休講となる。
私は静岡へ帰り、家業を手伝ったり、
休みを利用し、友人と東北へ旅行に行った記憶がある。

 

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「1968年」-無数の問の噴出の時代ー(国立歴史博物館)2017年

 

 卒業して何年か後、家の仕事を継いだ私は
仕事に専念し、政治的な事はすっかり忘れた。
ただ、ビジネスに埋没するだけはいやだった。
一つだけでも社会との間をパイプで繋がっていたいと思い、
人権活動グループアムネスティ・インターナショナルに参加。

政治への関心は深くはないが、無関心ではなく、
イラク戦争反対や原発反対のデモや集会にも参加した。
まだまだ学生気分が消えず、今に至っている。

家族にも政治議論を吹っ掛けては嫌われ、
でも、政治を変えていくのは身近から、との信念は強く、
そのおかげか、保守革新問わず、家族全員必ず選挙に行く。

選挙は庶民に平等に開かれた社会の窓
選んだ候補者は何度も何度も落選し、そのたびに落ち込んでも、
その権利だけは無駄にしたくない。

政治的な事は難しくてわからない。
しかし、解りたい・・・とは思う。

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1968年 ー激動の時代の芸術ー (静岡県立美術館)2019年