フクシマの若者たちの「希望」

8月中旬、私は静岡から福島の被災地へのツアーに参加しました。 その折、南相馬市の災害現場を案内して下さった、20代の若い同市々会議員のT氏。 9月の先日、静岡に来た彼の話を聞く会があったので、行ってきました。 題して 「現実的」脱・原発のススメ


実は、ツアーに行ったとき、彼が昼食時こんな失言と思えるような事を言いました。 「なんだかんだ反対があっても、早く古い原発廃炉にして、  新しいシステムの原発を動かしていたら・・・。こんなことは起きなかったのでは。」 原発反対が多数の参加者の前で、こんな事言ってしまっていいのか、正直驚きました。 ところが、静岡での話の内容は、その続きのような物でした。 簡単に脱原発と言っても、そんな簡単に原発はやめられない。 まず、ほとんどを原発に依存している市民の生活がどうなるのか。 残った人は、普通の生活に戻ること、早く学校や店を再開してほしいの一点張り。 放射能汚染濃度が高くても、この土地を捨てることが出来ないのが現状。 地震津波原発事故と膨大な被害を受けている南相馬市。 市民が抱えている問題を詳細に説明し、 議員として、一若者として、街の復興をどうしていったらいいいか。 現地の人でなければ解らない痛みがひしひしと感じられ、反論すら出ませんでした。 一方、T氏が、ツアー中に紹介してくれた本が、  開沼博著「フクシマ」論 原子ムラはなぜうまれたのか


本書は東京大学大学院に在籍して社会学を専攻する著者の修士論文。 「3.11」の大震災の前に既に書き上げられていた本文の前後に、 「3.11」をふまえた「まえがき」と「補章」がつけ加えられた。 約400ページの学術論文はあまりにも、タイムリーな出版に今や注目を集めている。 その開沼氏のオピニオンが、朝日新聞9/13朝刊に載っていた。 耕論・フクシマの希望 「理想を語るだけでは解決せず。」


・・・・・ この半年、どれだけの人が自ら現場を見て、地元の人の言葉に耳を傾けようとしたか。 中央の人の人間が一時の熱狂から醒めて去っていった後、 最後まで残るのは汚染された土地と補償問題、そこに残る人々の「日常」です。 その現実を見ることにそ、宙づりになりつつある「フクシマ」という 難問への答えと希望があります。 「棄民」となることを拒否した、ふたりのフクシマの若者の「希望」(と絶望)。 明日は我が身となるであろう私たちに、重い問題提起を突きつけています。