追悼ウォーキング

先日急逝したカリグラファーのAは、ウォーキングの指導者という別の顔がありました。

今日は、その彼の追悼ウォーキング。

昔の仲間から声を掛けてもらったので、何年かぶりに参加しました。



三十代も終わりの頃、スポーツウォーキングを知りました。

競歩ほどではないけれど、手の振り方、足の運び方、呼吸の仕方などの形を整え、

出来るだけ早く、長く歩くスポーツです。

競歩で鍛えたAのフォームを参考に、数名の仲間と毎週数キロのウォーキング。

だんだん脚力が付き、記録に挑戦しようと、地域のウォーキング大会に参加。

また、旧東海道三島大社から浜名湖新居の関所まで、毎日数十キロを歩き通しました。

梅ヶ島からのナイトウォークも、身延山からの塩の道ウォークも、

今思えば、四十代はウォーク三昧の日々でした。

五十代にになって、私の場合は、痛めた腰のリハビリで始めた、

エアロビクスに運動の中心が移っていくわけですが、

Aはその後もウォーキングの指導を続け、多くの愛好家を増やしていきました。

仕事にもスポーツにも、熱心で責任感が人一倍強く、謙虚でやさしい人柄を偲んで、

今日のウォーキングは昔の仲間を始め、多数の参加者がありました。

そして、彼の意志を継いで、これからもスポーツウォーキングを広めていくよう、皆で誓いました。