実りある人生のために。

朝日新聞夕刊連載中のコラム(人・脈・記)では、「生きること」のタイトルで、

オーストリア精神科医、ヴィィクトール・E・フランクルを特集。

未曾有の災害に直面している日本人に、今彼への関心が高まっている。

その彼の、強制収容所での体験を著した名著「夜と霧」を初めて読んだ頃を思い出す。



東京に憧れ、大学に入ったけれど、授業はつまらない。

さりとてクラブで青春を謳歌するエネルギーも、

多くの大学を封鎖した学生運動に参加する度胸も無し。

一緒に経営学を学ぶ友や恩師にも、たいして魅力は感じなかった。

結局バイトと本と映画以外、ありあまる時間をもてあました4年間。

その後、故郷へ帰る気持もなく、バイトをしながらふらふらと語学専門学校へ。

英語が好きで、東京YMCA英語学校へ通ったが、

授業は大学よりはるかに厳しく、サボることなど論外のこと。

英語のクラスはほとんどEnglishで、緊張の連続だった。

キーボードのタッチタイピングが出来たのも、ここでタイプを習ったおかげ。

スキルを身に付けるため、徹底的に実用的な専門教育をたたき込まれた。

しかし、私が英語学習以上に興味を持ったのが、目からウロコの西洋文化

この学校の多くの教師はクリスチャンで、キリスト教青少年教育が基本方針となっている。

礼拝参列や、学校以外での恩師との交わりは、今までにない貴重な体験だった。

さらに、西洋思想を学ぶ授業で紹介されたのが、倫理とか哲学とかいうもの。

 

 エーリッヒ・フロム著 「愛するということ」

 マルティン・ブーバー著 「孤独と愛」

 神谷美恵子著 「生きがいについて」

 セーレン・キェルケゴール著 「愛について」

それらのすべては、性愛のことではなく、神の愛、父母の愛、人類愛のこと。

「大人になるとはどういう事か。」を、私たち迷える子羊に教えてくれた。

そして、フランクリンの「夜と霧」。

敬愛する恩師が紹介してくれた、人間の真実の姿。

極限状態にあっても、人は理性を持ち、愛を分かち合う。

1ページ1ページ、身を切られるような思いで読んだことを覚えている。

あれから40年。

日常に埋没せず、わずかでも生きる意味を問う気持は変わらない。

「3月11日」も、その我が実りある人生の一日。

だから、未来を憂慮することなく、日々を全うしていきたい。