暴力で描く彷徨える魂/映画「息もできない」

母なる証明」「チェイサー」に続く、今年3本目の韓国映画

「息もできない」は、最近一番見たかった映画で、待ちに待って初日に鑑賞。

暴力の連続にうんざりしながらも、

主人公たちの熱い思いがヒシヒシと伝わってくる、痛いような映画でした。



友人が経営する債権回収業で手下を使い、暴力で取り立てる主人公サンフン。

かつて、父の家庭内暴力で母と妹を亡くしており、出所した父へも会えば暴力の繰り返し。

ある日道端で、サンフンの吐いたツバが女子高校生ヨニのネクタイにかかってしまう。

ヨニの家庭も母はなく、精神を病んだ父とヤクザな弟のため、家庭を切り盛りしなければならない。

シーバロマ(クソ野郎)シーバリョナ(クソアマ)と悪口雑言を罵りながらも、近づく二人。

恋愛という甘い関係はないが、引き合う気持ちがやがて、二人の凍った心を少しつづ溶かしていく。

最近の映画は、落ち着きのない世の中の苛立ちを、暴力をテーマに描いた映画が多い。

母なる証明」「チェーサー」などは、性悪説ともとれる不可解な人間の心の闇が見える。

一方「息もできない」は、人との交わりで心が癒されていくという、人間の良心を信じる映画。

人間、憎しみが深ければ深いほど、強く生きていけるともいわれる。

生きる意味を問い、涙を流した時から、その力は失せていくとも。

この映画も、改心していくことが、皮肉にも本人の幸福に繫がらない。

製作、脚本、編集、監督、主演を一人で担当したヤン・イクチュン。

彼のまっすぐな気持ちがとてもよく出ていて、共感する人も多いと思う。

だから、自分の全てをはき出したかったという、彼の思いはよく分かるけれど、

所々、強引にねじ伏せたような話の持って行き方があるのは、少々ものたりない。

それに、子供や女性たちの描き方など、ステレオタイプの域を出ていないし、

彼が居なくなってからのラストの逸話も、とってつけたように見える。

孤独な魂のさまよう姿を、熱い暴力で描くのは、

もう何度も見てきたような気がして、それほど新鮮ではなかったです。