現実と映画のはざまで/映画「ヘブンズストーリー」

5時間近い、壮大な長編日本映画「ヘブンズストーリー」を見るために、

前夜は睡眠時間をたっぷりとり、上映の2時間前にチェックインし、準備した。

昨年の日本映画ベスト作品「悪人」「告白」以上に見たかった映画。

初日同日、原発学習会が2カ所であったけれど、スルーして、この映画を見た。



家族を殺され1人になった娘、妻子を殺された夫などの犯罪被害者。

その動機なき殺人の加害者の青年、その身元引受人となる痴呆症の女。

過失致死を犯し、復讐代行を引き受ける元警官。

複数の殺人事件に関わった彼らが絡みあって、7つのストーリーが展開していく。

いやはや、すさまじい憎悪と暴力の連鎖の物語で見た後はぐったり疲れた。

愛することを知った人は、憎むことも引き受けなければならない。

一度、大切な人を奪われた人は、幸せになってはいけない。

一生、被害者に対する罪の意識と、加害者への復讐の憎悪の世界に生きなければならない。

人間は、そういう業(ごう)のようなものから、逃れられない。

どこまでも踏み込むでいき、永遠に心の解放をもたらさない

「ヘブンズストーリー」を最後まで見て思う。

たまたま地震津波に遭遇し、生活のすべてを失った人たちの、明日はいかばかりだろう。

さらに、生命を絶たれた多くの人々の無念は・・・。

私は運良く、その日、その場所に居なかっただけ。

その不条理をどう考えたらいいか解らない。

原発の不安だけしか目の前に見えていない、自分の後ろめたさも含めて。