被災地 福島から(2日目)

8月9日(火)立秋 2日目 


原ノ町駅南相馬市)に止まったままの電車。3月11日より動いていない。 朝7:30 南相馬市のホテルを出発。いよいよ、大津波が襲った海岸線へ。


海に近付くにつれ、破壊された家々が目につく。


そして、整理された瓦礫の山が連なる。


しかし、そのうち、家の基礎しか残っていない場所がチラホラ。


海の中にあった重いテトラポットが,ここまで流されて来る津波のすさまじさ。


そして、生命力ある雑草と汚泥だけが延々と続き、 見渡す限りさっぱりと空っぽな場所にバスは着く。

遠くを見ると、破壊された原ノ町火力発電所の施設が、影のように立っている。


防波堤の向こうには、石炭を運び込んだまま座礁して横たわる船が、幽霊船のよう。


家々も並び、海水浴場として賑わっていた遠浅の海岸は、大きくえぐられている。 まだ見つかっていない1000名の人たちが、この海岸の何処かに眠っている。


国道6号線を越えた津波により、今も付近の田圃の中に船がそのままの姿で残っている。


市の南側部分は、福島第一原子力発電所の半径20km圏内で、警戒区域に当たる。 国道6号線もここまで。鹿児島・宮崎県警が検問所を守っている。 南相馬市民の商店街経営者との交流。 家が津波に流されながら、地元で商店を5店舗経営し、再建を図る。 市の復興ビジョンを一人で作り上げ、議員を励まし国会へ陳情を重ねる。 その、声の大きさ、希望の高さ、強い復興への意志に、胸がうたれる。


街は多くのビッグチェーン店が閉店。従業員が避難して集まらないから。 昼食時、案内してくれた若い議員さんは、ポロッと本音のようなことを言った。 「なんだかんだあっても、早く古い原発廃炉にして、  新しいシステムの原発を動かしていたら・・・。こんなことは起きなかった。」 現地の人でなければ言えない重い言葉で、感動しました。 戻ってきた住民と、外に避難している人たちの間の深い溝。 ここに留まりたい高齢者と、見切りを付けたい子供のある世代間での家族の分断。 今一番この状況をクールに判断できるのは、30代の独身男性だそうだ。 実際、今回のスタッフもそうだった。


再び、放射能濃度の高い山間部を通り、福島市方面へ向かう。 東北自動車道を南下し、原発の南側、いわき市で二日目の宿泊をする。