「働く」ということ
2012年、明けましておめでとうございます。
正月三が日、仕事から離れて過ごしました。
特に3日は、ソウルに出掛けた妻娘のおかげ、一人で川根温泉に浸かってホッコリ。
明けて4日、今日からは公的な仕事始め。
私もそろそろ、仕事モードに身体と頭をチェンジしているところです。

もう昨年(12/31)の事になるけれど、静岡新聞朝刊に興味を引く記事がありました。
「貧困化」進む日本 東大教授・伊東元重氏
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「働く」とことには、三つのかたちがあるそうだ。
牛馬のごとく肉体労働をする「レイバー」
今の多くの人がやっている「ワーク」
そして、小澤征爾、イチローなどのプレイヤーに代表される「プレイ」。
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産業革命以来の機械の進歩は、多くの人をレイバーから解放してくれた。
今、日本で起きていることは、技術革新が私たちのワークの仕事を奪っていることだ。
情報技術などの革新で、小売業のチェーン化などで、100の収入を生む仕事が減ったのだ。
正社員が派遣や臨時の職員に置き換えられ、給与は減少するばかりだ。
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ただ、機械を壊してレイバーの仕事を回復させることと同じように、
いまの経済を壊してワークの仕事を取り戻すのも対処療法にすぎない。
30〜50年後になってみれば、多くの人がワークから解放されて良かったと感じるだろう。
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「プレイヤー」とは一流の芸術家やスポーツ選手だけではない。
介護の現場でもデザインやマーケティングを手がける小売りの現場でも、
機械の助けを借りながらより人間らしい仕事をする。
それがプレイヤーの世界だ。
ただ、その働き方ができる職場が多く出てくるまでにはまだだいぶ時間がかかる。
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「働く」ということについて、とてもいい視点だと思う。
普通の人目線のマーケティングを意識しているプロデューサーはプレイヤー。
切磋琢磨して、自分そしてグループを磨きあげる彼女たちもプレイヤー。
そして私は、インテリアの仕事の中で、希望ある暮らしを提案するプレイヤー。
新しい年になった今、理想の「仕事」のあり方を探求してみたい。