能「橋弁慶」の謡、弁慶役を少しだけ。
先日の日曜日(8/23)。
静岡観世会の夏季素謡会に参加しました。
私の属している岡諷会の出し物「橋弁慶」で
恥ずかしながらも、後シテの弁慶を謡わせていただきました。
能「橋弁慶」は京都五条の橋の上で、
という、童謡にもなっている有名な話の場面を描いています。
「橋弁慶」の前半は、お供の者から
「夜な夜な五条の橋の上に少年が現れ、不思議な早業で
人を斬り回るそうだから、今夜の物詣はおやめ下さい。」
と諭されるが、逆にむしろその妖怪を討ち取ってやろうと
弁慶が夜更けを待つ場面まで。
中入り後の後半部、牛若丸が現れる。
今宵は鞍馬山に身を潜めるため最後の五条の橋の上。
通る者を待っていると弁慶が長刀を持ってやって来る。
弁慶役の私が口を開く。
「すでにこの世も明け方の。
三塔の鐘も杉間の雲の。
光り輝く月の夜に。
・・・・・・・・・」
薄衣を身に纏った牛若丸を弁慶が女の姿と見間違えていると、
牛若丸が橋の上を通り過ぎ様に長刀の柄元を蹴り上げる。
「すは。痴れ者よ物見せんと。」
弁慶は長刀を取り直し切ってかかると、
牛若丸は右に左にひらりとかわし飛び上がり飛び下る。
弁慶が長刀を振り回しふたりは戦いを繰り返すが、
とうとう弁慶も詮方なく呆れて棒立ちになってしまう。
「不思議や御身誰なれば。まだ稚き姿にて。
・・・・・・・委しく名のりおわしませ。」
「・・・・・・・我は源牛若。」
「義朝の御子か。」
「さて汝は。」
「西塔の武蔵。弁慶なり。」
「互いに名乗り合い、互いに名乗り合い。
・・・・・・・・・・・」
クライマックス。
牛若丸に降参した弁慶はこの素晴らしい少年に惚れ、
主従のちぎりを結び、家来となって九条の鞍馬へお供する。
「位も氏も健気さも。よき主なれば頼むなり。」
(地位も名前も、俊敏かつ勇敢な姿も主として申し分ない。)
ここに、私が大好きな地謡のセリフがあります。
因みに「健気」とは俊敏かつ勇敢な意味だそうです。
戦いのあとの潔い弁慶の態度。
試合のあとのフェアな状況が感じられて、とても気持ちのいい場面です。
弁慶や牛若にはほど遠い軟弱者の私ですが、
この時とばかり、腹の底から力を込めて謡いました。