肌・血・メスとか、生々しいもの/映画「私が、生きる肌」
いやはや、こんな生々しい映画を作ってしまうアルモドバル監督、精力満タン。
「ルアーブルの靴みがき」で、カウリスマキ監督ちょっと枯れたな、と思ったのと正反対。
ストーリーのバランスを崩しても、少々やりすぎでも、映画は面白い方がいいです。
この映画、現在、過去、大過去と3つの話が絡まっています。
ロベルとベラの今の関係(現在)
形成外科医ロベルの豪邸にボディストッキングをまとったベラがかくまわれている。
ロベルの母マリリアが監視役で面倒を見ていたある日、
弟のセカが侵入し、ベラを発見してあらぬ事に。
ロベルの回想・ロベルにどんな過去があったのか(大過去)
マリリアの2人の子大富豪レガル家の養子となったロベルとならず者として育ったセカ。
ロベルの妻ガルはセカと知り合い、駆け落ち途中で交通事故が起き大火傷をしてしまう。
ロベルは皮膚移植で彼女を救命するが、
ある時ガルは、窓に映った自分の姿を見て絶望し、自殺してしまう。
ベラの回想・ベラとは何ものなのか(過去)
ロベルの娘ノルマはパーティで知り合った青年ビセンテと屋外でラブラブ行為。
が、ロベルはノルマの怯えたの表情に、襲われたと誤解。
ノルマは恐怖のあまり、精神病院に送られ、のち自ら命を絶つ。(極端すぎる。)
ビセンテを探し出したロベルは、復讐のため彼を地下室に監禁する。
ロベルとベラはどうなるのか(未来)
べらを手術で亡き妻ガルそっくりに生まれ変わらせたロベルは彼女を愛し始める。
しかし、ベラはそれらしき相愛のそぶりを見せるが、結局は逃亡をはかる。
謎が一つ一つ剥がれていく内に、悪魔の行為をする人間の底知れぬ恐怖が浮かび上がる。
また、皮膚(外形)を通してしか、性的感情を生みだせない生物の仕組みの残酷さ。
性に直面する感情が、とまどう理性を軽々と越えていく。
遺体が水面下で、分離売買されているという現代のニュースを前に、
皮膚移植や性転換手術など、それほど驚く話ではないかもしれない。
けれど、その被害者は私たちと同じ、ひとりひとりの人間。
実験台にされてしまったベラの、
戻ることの出来ない事実に戸惑うラストの姿は、あまりにも切なすぎる。