フラットな時代をflatに描く/映画「ソーシャルネットワーク」
最近「フラットな社会」とか、「flatな人間関係」とか聞くけれど、
私の解釈に間違えなければ、「ソーシャルネットワーク」は、
まさしく「フラットな時代を描くフラットな映画」なんではないでしょうか。
世界中で約6億人もの会員を持つ米交流サイト「フェイスブック」の誕生物語。
若くして億万長者になった創始者ザッカーバーグのサクセスストーリー。
サイト創設の裏で野心や嫉妬が渦巻き、マネーゲームに躍る人々を描いている。
ジェシー・アイゼンバーグ演じるザッカーバーグの、ニコリともしないマシンガントークの連打。
アイデアを盗用されたと主張する、双子同級生の傲慢で優等生的態度。
金づると見るや近づき、主人公を巨万の富に誘う起業家のへらへらした薄っぺらさ。
拝金主義を批判するわけでもなく、いやみな主人公を非難することもない。
感動を押しつける場面もなく、講釈(フェイスブックの説明とか)をたれ流すこともない。
魑魅魍魎がうごめいている時代の空気を、たんたんと描いています。
映画は、訴訟場面を軸に、抑揚のないハイスピードで進む会話劇。
だから、そのテンポに乗れないと、置いてきぼりになります。
私も単調な騒音の中、緊張を強いられたためか時々眠くなりました。
見た直後は物足りなさが残ったけれど、
SFや恋愛映画に見られるような、増幅されたわざとらしさがない。
特にめずらしくない話を、ありのままに描いている。
そういうスタンスをこの映画に感じるようになったら、
なんかこの仕掛けのない映画が、輝いて見えるようになりました。
フィンチャー監督の意図したところは、そんなところにあるのかも。
見落とした部分が多いような気もして、もう一度見たい。