コンセンサスの国

昨日(5月18日)の日経新聞夕刊の一面下、「あすへの話題」に面白い記事が載っていた。

「コンセンサスの国」というタイトルで、ドイツ文学者・池内紀氏が書いている。

211年3月11日の災事があぶり出した事はいくつもある。

その一例が、日本がとてつもなく「コンセンサス」を重要視する国であること。

前もって関係者が意見をすり合わせておく、「根まわし」の常識。

原発関係の記者会見でも、関係者があたふたする質問はタブーである。

水魚のまじわり=同じ利害にあずかった者たちの親密なまじわり。

この何十年にも及ぶコンセンサスの慣習から、

安全神話というモヤシのような優等生が生まれた。

ドイツの週刊誌「シュピーゲル」が最近号で、

菅首相を「コンセンサスをしない(できない)初めての首相」と書いていた。

そのため嫌われて、人気が出ない。

浜岡原発停止要請がその一例だが、さしあたり異例のリーダーと、

その言動の起こす政・財・管・学界の反応を注意深く見ていくことにしよう。

と結んでいる。

同じ夜、unnotさんのブログで「同調圧力」という、類似なテーマの発言を読んだ。

ある本の読書会があって、その感想を参加者の1人が述べている。

「なんだかんだ言っても、日本人は同調圧力に弱いんじゃないの」

政治にビジネスに、同調圧力(コンセンサス)に馴染むことが、成功の秘訣なのかも。

菅首相の突然の浜岡原発停止発言に、反発がたくさんあった。

「まわりと相談せず、独断で事を行った。」の一点張り。

でも、コンセンサスに身を置いていたら、間違いなく潰されていたと思う。

アメリカの強い圧力があったとも聞くけれど、おかげで世論の評価は高くなった。

中日新聞によると、当初は首相に反発していた御前崎市長も、

市民の生活を守るため、脱原発の方向も考慮していきたいそうだ。

平凡な毎日の、安全安心な暮らしにとって、コンセンサスは大きな価値がある。

でも、過去未来と、長期的な展望に立つと、それがえらいバリアになることも。

この動乱の今日、菅首相は、現代の坂本龍馬となりうるか解らない。

でも、従来の人とは違う、一歩を取り始めた事は間違いないのではないか。