男の自分探し/kittsan流ブログの意味(6)

最近、哲学者の伊藤健太郎著「男のための自分探し」という本が話題になっているようです。

自分探し・・・なにか、気持ちをそそるようなテーマですよね。

自分が世界の中心にあるように思っている私も、ご多聞に漏れず自分探しが好きでした。

メンズリブの風潮が漂っていた21世紀初頭、

市が主催した男性講座に参加して大いに刺激を受けました。

・カラーコーディネーターによる「男のオシャレ、その配色」についてのワークショップ。

・ホームレス支援者による「男性問題としてのホームレス考」の講演とパトロールへの参加。

・「ニューハーフとして生きて」というタイトルで

 パブのママのあっけらかんとしたマイノリティ人生を聞く会。

・「施行されたDV防止法」についてカウンセラーから学び、

 DVの被害者の参加もあったDV問題の学習会。

ざっくばらんな「大人のしゃべり場」や「男性の茶会」などもあり、

それはそれは充実して楽しい時間でした。

「男らしさから自分らしさへ」

「鎧を脱ぎ捨て裸の付き合いをしよう」

「会社人間から解放されよう」

魅力的なキャッチフレーズで大いに盛り上がりましたが・・・。

長年身体に染みついた価値観はそんな簡単に変わってはいきませんよね。

結局、冷めてくると会社の悪口や、

自分がいかに苦労しているか、損をしているか、愚痴の垂れ流し。

かと思うと一転して、華々しくみえた過去の自慢話合戦。(私も、ですよ!)

女性は分かりませんが、男というものは、

謙虚にに自分のことを見つめることは出来にくいもののようでした。

男性のみの講座は無くなり、女性も参加して男女共同参画社会「男も女もおんなじじゃん。」

ということになり、そのうちメンズリブ的なものは下火になっていきました。

今の時代、中高年男性がこうしたテーマで仲間を作り、友達を見つけることは

流行らないというか、困難になってしまったようですね。

結局、自分探しとは「本当のオレは違うんだ」という、

錯覚と思い上がりとナルシズムの産物なんでしょうか。

いえいえ、少しでも自己改革を目指そうとする、若々しいピュアな精神のなせる技なのかも。

・・・と、まわりくどい話になりましたが、

その代わりに行き着いたのが「ブログ」という事になりそうです。

言いたい放題。でも時々同年代のブログはどんなことを考えているのか、気になる。

私のブログ「kittsan流」も大いに自分探しをしているように思えるのですが、どうでしょうか。