朝日新聞連載、漱石の「こころ」を読んで。

この4月から9月まで、朝日新聞夏目漱石の「こころ」が連載されました。

「こころ」は高校の時、現代国語の教科書に出ていました。

それから青年時代に再び岩波文庫で読んだ記憶があります。

そして今回、新聞連載小説として新たなかたちで読み返しました。


若かりし頃読んだ「こころ」は、

先生とKが同じ娘さんを好きになったこと。

それが元でKが自殺し、さらに先生も遺書を残し自害する。

そんな事が主な記憶に残っていました。

今回一日一場面ずつ読んで、気付いたことがありました。

何故、タイトルが「こころ」だったのか。

「恋愛告白があったり、二人の人間の死の話があるのに

そこが全然ドラマチックに描かれていない。」

朝日新聞の読後感想に誰かが書いてありました。

確かに、わたしもそう思いました。

Kが娘さんへの想いを先生に告白する場面。

先生が同じ娘さんの母親に求婚の申し出をする場面。

先生が求婚したことをKが知った場面。

Kが死亡していることを先生が気付く場面。

そして、遺書を残して先生が死を告げるラスト。

それらの事件となる場面が、文脈を乱すことなくいともあっさりと、

ひそやかな出来事のように描かれているのです。

人の行動の転機となる場面を克明に描くのではなく、

その前の「こころ」の屈折、そしてその後の「こころ」の葛藤。

漱石はそこを、あらゆる語彙や表現を使って描写しているのです。

まあ、知的で誠実な人間はここまで悩み苦しむものなのか、

と今となっては思いますが、

そこに時代のきまじめさが反映されているのかもしれません。

漱石の小説は「それから」「門」「明暗」など、

さらに奥深く、人間のこころの内を描いていきます。

朝日新聞では10月1日から、初期のもう少し明るい「三四郎

が連載されるそうです。

今度は、ストレイシープ(迷える羊)の物語です。