三保海岸にて「三島由紀夫トークショー」を聞いた。
50年前の今日(11/25)、作家三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で
当時私は大学生で東京にいるはずでしたが、
学生運動により休校が続いており静岡の自宅にいたと思います。
テレビのニュースを聞いて大変ショックを受けました。
また、妹は高校の先生が教室に飛び込んできて、
「今三島由紀夫がアジをやってその後割腹した。」と叫んだそうです。
その三島由紀夫が逝って50年の今年、三保海岸の施設「みほしるべ」において
「三島由紀夫と天人五衰展」が催されています。(11/29まで)
三保や清水近辺は三島氏の遺作「豊饒の海4部作」の最後「天人五衰」の
舞台となっているそうで、その縁もあって清水の美術評論家本阿弥清氏の
三島由紀夫関連コレクションが展示されています。
またその関連企画として
「三島由紀夫関連トークショー」が11月22日に行われました。
それ以前に展示会を見に行った私は、知り合いの「みほしるべ」の係員から
トークショーの話を聞き、すごい人達の話が聞けますよ、と勧められました。
当日の主催者のトークによると、わずか15分で定員に達してしまったそうで、
申込日の開始時間に予約の電話をした私は幸いにも受け付けてもらえました。
私自身は事件後、それほど三島由紀夫氏の事は興味はありませんでしたが、
最近氏の作品「文章読本」を読んで、あまりの博識と美しい文章に惹かれ、
すっかり魅せられてしまったこともあり、
とてもいいチャンスに恵まれたと思いました。
4人の専門家が二人づつ前半と後半のテーマを語る3時間の講演です。
小二田誠二氏 静岡大学教授(日本言語文化)、
静岡の歴史・文化・産業についての仕事多数。
「三島由紀夫の世界観」
井上隆史氏 白百合女子大学教授(日本近代文学)三島由紀夫文学館研究員
著書に「三島由紀夫 虚無の光と影」「豊饒なる仮面 三島由紀夫」
渡辺真也氏 映画監督、キュレイターで美術史博士、テンプル大学講師
監督作品に「Soul Odysseyーユーラシアを探して」
各方面の三島由紀夫オタクの話は彼のプライベートから
人生観、政治観、思想、文学、評論など、多岐に渡りてんこ盛り状態で
それぞれ、マスクを何度も直すほど興奮気味でした。(笑)
さらに、この企画を知って直前に申し込みをしたという、
有名な詩人の高橋睦郎氏まで加わって、壇上は大賑わいの様相でした。
トークショーで参加者皆の関心が高かったのがノーベル賞のこと。
魑魅魍魎がうごめいているような文壇の世界での駆け引きの凄まじいこと。
ドナルド・キーン氏は三島を押したが、エドワード・G・サイデンステッカー氏が
CIAがらみで反対したり、当時の日本作家協会の伊藤整が三島を好まなかったり。
で結局 川端康成氏が日本から推薦されたそうです。
さらに面白かったのが高橋氏の話。
「ノーベル賞をもらった作家は皆んなその後ダメになり、
大した作品を残していない。大江健三郎しかり。
三島はもらえなかったのでその後奮起し、あの大作豊饒の海を完成した。」
それぞれの登壇者の話は大変前評判が高かったので、
当日はfacebookでライフ中継しました。
また、その日のトークショーは後日You Tubeで放映される予定です。
公演後は、参加者各人が三保海岸へ赴き、夕方の風景を楽しみながら
三島由紀夫を偲び感慨にふけったことでしょう。
滅多にない参加の機会を得て、大満足の1日でした。
All the Things We Never Said / 日本映画「生きちゃった」(石井裕也監督)
蕎麦工房「玄庵」(蕎麦屋探検 その1)
静岡のレガシー、「浅間神社」と「臨済寺」をめぐる。
10月24日、昼は浅間神社へ、夜は臨斎寺へ。
静岡市の代表的な社寺体験の貴重な1日でした。
浅間神社で行われた「オクシズ漆の学校」第1回。
今回は静岡文芸大学の先生が講師となって、
日本の漆文化の解説と、漆塗りの改修が終わって
12月の通初めを待つばかりの浅間神社桜門他の見学と説明が行われた。
祖父、父、私と三代静岡にいる我が家に取って、浅間神社は身近すぎて、
これほど価値ある文化財だとは思っていなかった。
五十六の神々が鎮座する浅間神社。
神戸(かんべ)、浅間(せんげん)、大歳御祖(おおとしみおや)、
麓山(はやま)、八千戈(やちほこ)、小彦名(すくなひこな)、
玉鉾(たまぼこ)、
の名前がやっと覚えられえた、s七つの神社の総称が浅間神社。
まずは大歳御祖神社から始まった平成令和の大改修が
小彦名神社を経て、楼門まで終了した。
漆塗りの文化財は日光のある栃木県(90棟)に次いで、
浅間神社、久能山東照宮を持つ静岡が36棟の静岡県が2位とか。
ただ、漆は直射日光に弱く、2年前に済んだ小彦名神社を
見ると分かるように劣化が激しい。
それでも文化財として貴重な部分はたくさんあり、
解説の先生の説明に一つ一つ頷くことばかりだった。
私の生きている間に7社あるすべての神社が蘇る姿を見ることが出来るか。
それだけでも長生きしたいですね。
さて、その日の夜は「臨斎寺秋の特別拝観と修行体験」に参加した。
僧侶の修行道場として有名な臨斎寺は浅間神社ほど親しみはないが、
格調高い禅寺として、一度は座禅体験をしたいと思っていた。
今回はわずか15分の座禅体験だが、
社内拝観とともに坐禅を味わえるプランだったので参加した。
賤機山の山腹にある臨斎寺は実際に奥まで案内されると、
街中にあっても山寺のよう。
灯篭に照らされた階段を登りつめると本堂がある。
まずはその方丈の間で香を炊き、写経を試みる。
座り方や手の組み方など説明があるが強制はなくゆるい坐禅の時間だ。
警策(棒)も、自身が気が散った時などに自主宣告していただき、
折れることもある警策とは程遠く、降ろしてなでる程度のもの。
体も揺れ動かず、思っていたほど長くない15分だった。
後半は寺院内の拝観。
有名な岩が多い庭園、徳川家康少年時代(竹千代)が学んだ部屋、
最上階にある茶室など、華やかではないけれど書院造りの見事な建物を
回遊して説明を受けた。
浅間神社も臨斎寺も静岡人にとっては馴染みの社寺だけれど、
それほど重要視されていない。
本当は、ともに由緒ある世界に誇れる日本の文化遺産だと再認識できた。
歌集「滑走路」を読む。
18切符で南信州・その時のハプニング
改札口の乗務員に聞いたが届け出がないという。
そのうち彼は私が乗ってきた列車が
まだ止まっているから確認してきたらどうかという。
列車を降りようとした時、ドアがす〜と閉じた。
大声で言ったら、
運転手は気付いてドアを開けてくれた。
間一髪、ご迷惑かけてスミマセン。
七夕の夜、謡「楊貴妃」を練習する。
梅雨の真っ只中、雲に覆われ天の川は見えないけれど、
せめて鬱陶しい気持ちを晴らす愛の物語をと、
謡の先生が「楊貴妃」を選んでくれました。
(画像は「としま能の会」昨年7月の公演のポスターです)
能「楊貴妃」
亡くなった楊貴妃の魂の行方を尋ねよという玄宗皇帝の命令を受けた方士が
仙郷・蓬莱山に至ると、そこでひとり過ごす楊貴妃と出会う。
玄宗の言葉を伝えた方士が、貴妃に出会ったという証拠を所望するので、
貴妃は自分の釵を与えるが、それでは確かな証拠にならないと方士は言い、
玄宗と貴妃とが生前に言い交わした秘密の約束を教えてほしいと言う。
貴妃は二人だけの秘密の言葉を教えると、帰ろうとする方士を呼び返し、
かつて宮廷の遊宴で舞った舞を見せようと言う。
貴妃は玄宗との思い出を語り、優雅に舞って見せる。
やがて方士は帰ってゆくので、貴妃はそれを見送ると、
涙に伏し沈むのであった。
この能のハイライトは七夕の夜、
織姫と彦星に向かって誓う二人だけの愛の言葉。
「天に在らば願わくは 比翼の鳥とならん
地に在らば願わくは 連理の枝とならん」
天に在れば、いつも羽を並べて離れない鳥となろう
地に在れば、いつも枝を連ねて離れない木となろう
今回私は楊貴妃を尋ねるワキ方の方士後半を受け持つことになりました。
玄宗皇帝の嘆きを楊貴妃に伝え、出会えた証拠を皇帝に持って帰りたいと訴える。
そのシテ(楊貴妃)とのやり取りは、絶妙の呼吸が必要とされるそうです。
ワキはシテの哀れ、悲しみを浮かび上がらせた後、
さらに舞を披露するシテの美しさを引き立たせる大事な役。
8月のおさらい会まで、どこまで役作りが出来るか、
今夜のお稽古、頑張らなくては。