真実のために自分を信じて疑え/映画「新聞記者」

最初から最後まで瞬きもため息もさせない
サスペンス満載のエンターテイメント映画。

まさに政治こそが自分の人生を左右する
最大の力である事を証明した映画。

シム・ウンギョンと松坂桃李田中哲司
3主役俳優の絡み合いのバランスが見事!

時にカメラがクラクラ動いて不安感を煽ったり、
特に最後の3人の顔のクローズアップが圧巻!!

ヒット作「カメラを止めるな」クラスの
ビッグな興行成績になるか?

映画の出来が今一つ(日経シネマ万華鏡では★2つ)
という批評は権力側からの圧力があったのか??

誰かと語りたくなったり何かを書きたくなったり
とにかく鑑賞後長く尾を引くオススメの映画です。

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印象的な言葉
「真実のために自分を信じて疑え」
「民主主義はカタチだけでいい」

面白かった事
映画の前のCM編にSSK缶詰やオレンジハウス
混じって立憲民主党のCMがあった事。

( 7/15 MOVIX清水で鑑賞)

政治の季節

参議院議員選挙も後半戦に突入。
政治には疎い私だけれど、自分なりに考えている。

50年前、私は明治大学の学生だった。

大学のあるお茶の水駿河台界隈に登校すると、
道路が催涙弾で煙り、火炎瓶や木片、布切れなどが
散乱している状況が度々あった。

大学の授業は度々休講になった。
それでもクラスメートは教室にあつまり、
侃々諤々、政治的な持論を皆で論破し合っていた。
臆病な私は、当時はいわゆるノンポリだっが、
その時議論出来ない事がとても恥ずかしいと思った。

そのうち大学が閉鎖され、半年以上休講となる。
私は静岡へ帰り、家業を手伝ったり、
休みを利用し、友人と東北へ旅行に行った記憶がある。

 

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「1968年」-無数の問の噴出の時代ー(国立歴史博物館)2017年

 

 卒業して何年か後、家の仕事を継いだ私は
仕事に専念し、政治的な事はすっかり忘れた。
ただ、ビジネスに埋没するだけはいやだった。
一つだけでも社会との間をパイプで繋がっていたいと思い、
人権活動グループアムネスティ・インターナショナルに参加。

政治への関心は深くはないが、無関心ではなく、
イラク戦争反対や原発反対のデモや集会にも参加した。
まだまだ学生気分が消えず、今に至っている。

家族にも政治議論を吹っ掛けては嫌われ、
でも、政治を変えていくのは身近から、との信念は強く、
そのおかげか、保守革新問わず、家族全員必ず選挙に行く。

選挙は庶民に平等に開かれた社会の窓
選んだ候補者は何度も何度も落選し、そのたびに落ち込んでも、
その権利だけは無駄にしたくない。

政治的な事は難しくてわからない。
しかし、解りたい・・・とは思う。

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1968年 ー激動の時代の芸術ー (静岡県立美術館)2019年
 

至福のとき、関野晃平展を観る。

幻の漆芸家「関野晃平」氏の作品展が
静岡県島田市で7月7日まで開催されている。

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知る人は僅か、(入場者は少ないそうだ)
けれども、氏の珠玉の作品を知っている人なら
遠く神奈川県からまでも来ていた。

これだけの完成度の高い作品を作りながら名前は残さない。
作品を見て貰えばわかるという自負もあるだろうけれど、
そのかわり大勢の人に顔も名前も知られる事もない。
もちろん氏は有名になる事を望んでいない。

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偶然氏の作品を見て、その完成度に感動した
白洲正子さんの様な感性の高い人が
黒田辰秋の陰に隠れていた氏を世に知らしめた。
(黒田辰秋の工房で弟子として12年仕事をした)

 

すり漆の作品
 素材と漆とカタチのバランスが見事。
 端正で力強い箱や器。
螺鈿の作品
 貝がこの位置に置かれる事を望んでいる様に
 整然と光沢を放って収められている。
沃地の作品
 斬新なモノトーンの作品で、光に透けると
 乾漆粉の粒子が浮かんで見える。

 今回は特別に,試し塗りの漆や
氏の使用したカンナ、刷毛、紛筒などの道具も展示されている。

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初日にお会いした氏の奥様は
もうこれが最後の展示会かもと仰っていたけれど、
知人のデザイナーは国立近代美術館工芸館などで
多くの人に見て貰うべきだ、と言っていた。

ひっそりと、静かに作品と語り合う、
至福の時間をたっぷり味わえる
稀有の展示会です。

 

「漆工芸家関野晃平と伊久美の空」
  会期  6月1日(土)~7月7日(日)  
  会場  島田市博物館
  入場料 300円

関野晃平氏展示会の動画
https://www.youtube.com/watch?v=_yBy94C3lmM
https://www.youtube.com/watch?v=22_QT0J8R_o
https://www.youtube.com/watch?v=vcHwjwsmpwM

 

亡くなってから注目された画家 リヒャルト・ゲルストル

国立新美術館の「ウィーン・モダン」展は概ね物足りなかったけれど、
ひとつ思わぬ収穫があった。

「リヒャルト・ゲルストルの油絵2点が展示されていた事」

ゲルストルの事は私がウィーンへ行くまで全く知らなかった。
ところが、ウィーンのいくつかの美術館で
クリムトやエゴンシーレの絵の中にあって、
強烈な印象を残した画家がゲルステルだった。

そのほとんどが肖像画や自画像。
しかもニコリともしないどちらかというと暗い顔ばかり。

そして最も強烈だったのが、あのクリムトの「接吻」が
展示されているベルベデーレ宮殿にあるゲルステルの「笑う自画像」

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口は笑っているのに、目は泣いているのか怒っているのか、
絶望的な表情がなんとも不気味だった。

彼の生き方が凄まじい。

裕福な商家に生まれた彼は画家を志し、ウィーン美術アカデミーへ入学。
ウィーン分離派に飽き足らず独自の絵画を模索し、特に肖像画や風景が多い。
音楽への関心が高く、シェーンベルグと親しくなり肖像画を依頼される。
しかしその妻マティルダと親密になり、
二人で駆け落ちをするも、女の方は夫の元に帰ってしまい失敗。
追い詰められたゲルストルは、25歳で自分の作品を燃やしてから首吊り自殺した。

当時は全く評価されなかったが、今では表現主義の代表的画家として、
クリムトやココシカらと共に、ウィーンの主要美術館に展示されている。

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今回の「ウィーン・モダン展」には有名な「シェーンベルグの肖像」と
もう一点、「パレットを持つ自画像」が展示されていた。
「シェーンベルグの肖像」は彼のピアノ曲を演奏するポリーニ
CDの表紙に使われているので見た人もいると思う。

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無くなっては困る店

先日、ラペック静岡へ行った折、
右隣の店の入り口に、こんな張り紙がありました。 

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 閉店のお知らせ
 お芋産地 問屋さんの高齢による廃業で
 美味しいお芋が入手困難になり閉店することになりました。
 焼芋・かき氷と永年のご愛顧感謝します。
 ありがとうございました。  店主

 

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宣伝費なし、素朴な店構え、昔ながらの製法。
だからこそ美味しく価値があり、ファンが多い。
そんなお店がまた閉店してしまいました。

美食家でなくとも、人間の舌や歯は
ちょっと注意して食べ物を食べていれば
かすかな味の違いにも気付くものです。

 

以下、私が個人的に感じている
「無くなっては困る店」
又は「無くなってしまった掛け替えのない店」
を思いつくままに挙げてみました。
  

かき氷と焼き芋の「末永」 (閉店)

焼き豚とフライの「萩原精肉店」  (閉店)

たこ焼きの「横山」  (閉店)

肉まんの新勝園   (閉店)

親子丼の「中村屋

柏餅・おはぎの「もちの家天野屋」

鰻の「満喜多」

洋菓子の「ビスケットキング」

羊羮の「愛宕下羊羮」

・・・・・・

そし指物の「名波木工所」

ご存知かもしれませんが、我が社「吉蔵」の専属木工所です。
この人(名波さん)の「技術」「センス」「人柄」が
吉蔵の製品の全てです。

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誰もがそう言った店を持っているでしょう。
こうした「平成」でも貴重だった店が
「令和」ではほとんど消えてしまうのではないでしょうか。
いや、そういう作り方が受け継がれ、また復活するのかも。

次回は「無くなってしまった掛け替えのない事」について少し・・・。

こんな夢を見た。

50年ぶりに再会した中学時代の恩師が主催している
文章講座に通って1年が経った。

著名な作家、川端の「雪国」や谷崎の「春琴抄」などを読んで、
皆で感想を述べ合い、最後に各自で感想文を書く。
そしてそれを先生が添削してくださる。
感想文を書く時間は残り1時間もないから集中して必死で書く。


さて、先日の文章講座のテーマは夏目漱石の「夢十夜」。
新聞に連載された10篇の夢の話が一夜から十夜まで続いている。
一部を読み合い、意見や感想を述べるのは従来と同じだけれど、
私にとっては初めての体験、感想ではなく夢の話を創作するのだ。


書き出しは漱石と同じ、「こんな夢を見た」から始める。
私の書いた夢は以下、実体験に基づく甘酸っぱい青春の話・・・。

 

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こんな夢を見た。          (杉山吉孝)    

ここは高校の教室。
ディベートの授業があり、4つの長机を正方形にして、
2人づつ椅子に座り、8人が順番に意見を述べていく。

僕の隣は由紀さんだった。
美しく聡明な彼女に、僕はひそかに憧れを持っている。
自分の番はまだ大分先だからどんな意見を言おうか考えていた。
そのうち組んだ足の裏に何かかすかにぶつかってくる物に気付いた。

トントントン・コツコツコツ。
何だろうと机の下に目をやると、
由紀さんのつま先が僕の足の裏を叩いているではないか。

本当? 彼女も僕に好意を持っていてくれたのか。
柔らかくリズミカルに彼女の鼓動が伝わってくるよう。
僕はすっかりいい気持になり、こちらからもお返しをしようと思ったが・・・。
トントントン・コツコツコツ。
何故か彼女の叩く音ばかりでこちらからは何も返せない。
トントントン・コツコツコツ。

返事のサインを送ろうと、懸命に足を動かそうとしていると、
そのうちボーっとした頭かはっきりしてきて、見えてきたのは娘の姿。

「お父さん、お父さん、早く起きて!」
娘の指が、私の鼻の頭を叩いている・・・。
ハッと気が付いて目が覚めた。

平成時代に私が観た映画ベスト3

平成から令和へ変わる今、私にとっては
還暦から古希へ程の感慨は無いけれど、
まあ、区切りの一例として好きな映画の話を。

 誠実であるがゆえに、時代に翻弄され取り残されていく
男たちを描いた、忘れられない3本の傑作です。
(公開年代順)

 

イギリス映画「日の名残りジェームズ・アイボリー監督

アメリカ映画「ブロークバック・マウンテンアン・リー監督

中国映画「無言歌」ワン・ピン監督

 

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(1994年公開) イギリス映画「日の名残りジェームズ・アイボリー監督

品格ある執事の道を追求、誇りとしているスティーブンスは短い旅に出た。
離職した女中頭に、主の変わった屋敷に戻って、働いてもらうために。
美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよみがえる。
長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鏡だった亡き父。
二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々。
その中にあって、芽生えた女中頭ケントンとの秘めた恋と別れ。
後悔をも偽りの中に押し殺してしまう。ストイックな男の悲哀。

映画は失われ行く伝統的な英国を交差させて描いていく。

執事を演じたアンソニー・ホプキンスと、女中頭のエマ・トンプソンの名演技。
戦時中の奥深いイングランドの風景と建物を見事に捉えたキャメラ
小説と同じように、淡々ときめ細やかに語りかける物語展開。

DVDで、何度も何度も見直した我が生涯の映画となっている。
そして、最近本を手に入れ、カズオ・イシグロの原作を読み始めた。
プロローグ、一日目、二日目・・・六日目と
章を追って男のモノローグが続いていく。

一緒に映画を見た妻は、こういう偽りの姿を持った男には否定的だった。
でも、こうでしか自分を肯定できない、孤独で哀れな男の生涯を、
私は共感と憧憬をもって読み続けている。

 

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(2006年公開) アメリカ映画「ブロークバック・マウンテンアン・リー監督

犯罪者とか障害者とか同性愛者など、
マイノリティを語るのはとても難しいと思う。
在日の姜尚中さんは人権関係のインタビューで
「マイノリティにとって最大の苦痛は、絶えず自分が何者であるかを、
自分自身にも社会に対しても、明らかにしなければならないという
プレッシャーにさらされていること。
そしてその差別が固定概念化し、自身の可能性までも奪ってしまう。」
と述べています。

主人公のイニスも自己を肯定出来ず、偽りの中で周りの人間を不幸にしていく。
最後、すべてを失った彼はブロークバック・マウンテンでの
若き日々のジャックとの思い出のみが残される。
そして、それが唯一彼が生きていく糧になるのだけれど・・・。

どんな人間も、マジョリティとマイノリティの部分をもっている。
そのため、鎧を身に付け、武装して、
社会人として生きて行かざるを得ない場合がある。
映画の男たちは、自衛し、自分たちの人生を守ることすら出来なかった。
しかし、そういう男たちの生きざまが、
愚かで、痛ましくも、いさぎよく思えてしかたがない。

この映画のもう一つの魅力は、豊かでやさしく、
悲しいまでに美しい自然の描き方です。
私が若い頃好きだった「ファイブ・イージー・ピーセス」など、
アメリカンニューシネマを思わせるタッチです。
どこまでも透明でうつろな、空と月。
カウボーイの愛を育む、山と水。
そして別れを予感させる、雪と風。
孤独な男たちの叫びを、自然が無言の言葉で雄弁に私たちに語りかけています。

原作本も読み、DVDも繰り返し観た、生涯のベストワンともいうべき映画。

 

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(2011年公開)  中国映画「無言歌」ワン・ピン監督

1960年。中国西部、ゴビ砂漠
荒野に掘られた塹壕のような収容所に人々が囚われいている。
轟々と鳴る風と砂。食料はほとんどなく、水のような粥をすすり、
毎日の強制労働にただ泥のように疲れ果てて眠る。
かつて百花のごとく咲き誇った言葉は失われ、感情さえも失いかけた男達。
そこにある日、上海から一人の女性がやってくる。
愛する夫に逢いたいと、ひたすら願い、泣き叫ぶ女の声が、
男達のこころに変化をもたらす・・・・。

映画「無言歌」は、歴史の闇に葬られた
中国毛沢東体制における「反右派闘争」の悲劇を、
中国の若手監督「王兵」(ワン・ピン)が映画化したものです。

厳しい自然と饑餓のなかで、朽ちていく男達。
死体や汚物にまみれた彼らの描写の彼方に青空と大地がピーンと張り詰めている。
風に舞う砂、光に浮かぶホコリさえも神々しい、この映画の豊かな映像の力。

夫を捜して幾多の土豪を掘り返し、泣き叫ぶ女。
病の恩師を背負い、闇夜に脱走を図る若き囚人。
声にならない彼らの生への思いがいとおしくてならない。

ワン・ピン監督は言っています。

歴史とはそれを記憶する人がいて、記憶してこそ歴史となりうると思う。
三者の目を持って歴史というものを記憶し、歴史として残す。
その仕事をやり遂げたいと思っています。
それこそが過去に生きた人々、我々の先達に対する尊敬の念なのだと思います。

映画「無言歌」。私の生涯のベストテンに入れたい、希にみる傑作です。